開拓団を襲った悲劇

《vol.7》 近藤かつみ著『七人の遺髪―ソ満国境の開拓団より逃れて』(揺籃社)より、「佐渡開拓団跡の玉砕をのがれて」

七人の遺髪今回は、近藤かつみ著『七人の遺髪 ソ満国境の開拓団より逃れて』の中から、「佐渡開拓団跡の玉砕をのがれて」をお聴きいただきます。

著者の近藤かつみさんは1928年(昭和3年)、長野県浪合村に生まれました。
1943年(昭和18年)、かつみさん16歳のとき、祖父・柳太郎、祖母・すえ、父・鉱一、母・千代、そして2人の弟・忠計と柳三、妹・幸子の一家8人は、中学に入学したばかりの仁志1人を残し、南信州郷開拓団に入団。満州に向かいます。

しかし、その2年後、厳冬の地でおじいさまが他界。日本の敗戦が間近になった8月には、ソ連軍が侵攻し、かつみさん一家も山野を逃げまどう日々を送ることになります。
そして、開拓団一行が到着した鹿島台団地でソ連軍の銃撃に遭い、お父様が亡くなりました。
残った家族は佐渡開拓団跡にたどり着きます。

しかし、そこで待ち受けていたのは、開拓団の三大悲劇の一つと数えられ、山崎豊子の小説『大地の子』にも記された佐渡開拓団跡事件でした。ソ連軍の攻撃が続く中、多くの開拓団移民が集団自決を図ったのです。
かつみさん家族は命からがら逃げおおせましたが、その後まもなく、ソ連軍に捕虜として捕らえられました。
このときの様子を記した手記を朗読します。

朗読は、読み聞かせボランティアの遠藤信子さんです。

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